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福岡高等裁判所 昭和35年(ネ)748号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 青柳キクエ

被控訴人(附帯控訴人) 小山田義雄

主文

本件控訴を棄却する。

原判決を次のとおり変更する。

控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し小倉市板櫃字屋敷二九七番地、一、宅地二二五坪九合、同所二九六番地の四、一、宅地七合七勺並びに同所二九七番地所在家屋番号原町二七四番、一、木造亜鉛板葺平家建五戸住居宅一棟建坪二六坪二合五勺及び同家屋番号原町二七五番、一、木造亜鉛板葺平家建五戸住居宅一棟建坪二六坪二合五勺を引渡し、右二個の家屋につき昭和三三年六月五日附売買による所有権移登記手続をなし、且つ右各宅地引渡に至るまで別紙目録記載の金員の支払をせよ。

訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は、第一、二審とも全部、控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

主文三項につき被控訴人(附帯控訴人)において金三〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人(附帯被控訴代理人。以下、控訴代理人という)は「原判決のうち控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」「被控訴人(附帯控訴人)の附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文一項及び「控訴費用は控訴人の負担とする」との判決、附帯控訴として主文二、三項と同旨及び「附帯控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とする」との判決並びに右宅地、家屋の引渡及び金員の支払につき担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用及び認否は次のごとく附加するほかは、原判決の「事実」欄記載(控訴人、被控訴人間の関係部分)と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は「一、第一審において主張したように、主文三項掲記の宅地二二五坪九合及び宅地七合七勺(以下、両者を本件土地という)は、大正一一年頃控訴人がその所有者の訴外吉田マツ子から賃借し、その地上に主文三項掲記の居宅二棟(以下、両居宅を本件家屋という)を建築所有していたのであつて、ただその家屋の登記簿上の所有名義人を控訴人の内縁の夫訴外貫友介としていたにすぎないのであるが、仮に本件土地の当初の賃借人が貫友介であり、本件家屋の所有者も同人であつたとしても、控訴人は昭和一五、六年頃友介との内縁関係を解消すると共に、同人から本件家屋の贈与をうけ、その時から控訴人が本件土地の賃借人たる地位を承継したのである。もつとも、その後、戦争のためや終戦後、友介の行方が不明となつたこと等のため、本件家屋の所有名義を変更することが遅れそのうちに被控訴人が本件土地を買いうけたのであるが、被控訴人も右家屋が実際は控訴人の所有であり、本件土地の賃借人も控訴人であることを充分に知悉して買いうけたものである。そして友介の所在が不明であつたため、控訴人は、やむをえず昭和二八年に公示送達の方法により友介を被告として所有権移転登記手続請求訴訟を福岡地方裁判所小倉支部に提起し(同庁昭和二八年(ワ)第二一七号事件)、該判決の確定により漸く自己の所有名義に移転登記をすることができたのである。

右のごとき事情であるから、控訴人は建物保護ニ関スル法律一条一項にいう「其ノ土地ノ上ニ登記シタル建物ヲ有スル」者として、その賃借権を被控訴人に対抗しうるものと解するのが、同法の精神にかなうものというべきである。

いわんや、被控訴人は前記のごとく本件家屋が登記簿上、貫友介所有となつているのは単に名義のみであり、実際は控訴人が所有者であつて、土地の賃借人も控訴人であることを当時、知悉していたのみならず、控訴人が本件土地の地主たる吉田マツ子に対し土地の買受方を申入れていることを充分に知りながら控訴人の土地代金の調達が遅れている間に突然、横合いから本件土地を買いとつたとの事情があるのであるから、控訴人の賃借権を否認しえないと解するのが相当である。

二、以上は建物保護ニ関スル法律の解釈からする主張であるが、仮にこの解釈が当らないとしても、右のような事情のもとにおいて、被控訴人が控訴人の賃借権を否認し家屋収去等の請求をなすのは正に権利の濫用である。

三、前記の抗弁が理由がないとしても、控訴人は昭和二三年一月訴外吉田二郎を代理人として、被控訴人の代理人たる訴外神吉定得に交渉し、本件土地のうち家屋の存在する北側一一六坪を地代一ケ月一坪につき金三五銭をもつて控訴人が賃借することの承諾をえて、被控訴人との間に賃貸借契約が成立したから、右部分についての家屋の収去及び土地明渡の請求は不当である」と述べ、

被控訴代理人は、これに対し「控訴人主張の一の事実のうち控訴人主張のごとき訴訟事件の提起があつたことを認めるが、その事件の内容は不知、その他の事実をすべて否認する。

訴外吉田マツ子は控訴人に対し他人を介し本件土地の買受方を交渉したが、控訴人はその申込に応ぜず買受を拒絶したので、マツ子は被控訴人に対し本件土地を売渡したのであるし、一方、被控訴人はマツ子より本件土地の賃借人は貫友介であり、同人がその地上に本件家屋を所有している旨告げられたので、本件土地を買いうけたのである。

仮に控訴人主張のごとく同人が昭和一五、六年頃訴外貫友介から本件家屋の贈与をうけ、その時から控訴人が本件土地の賃借人たる地位を承継したとしても、被控訴人が吉田マツ子から本件土地を買いうけ、所有権移転登記を経由した昭和二二年一一月五日当時には、本件家屋につき控訴人名義の所有権移転登記がなされていなかつたから、右借地権をもつて被控訴人に対抗できないのである。

控訴人主張の二の点及び三の事実を否認する」と述べた。

被控訴代理人は附帯控訴の理由として「被控訴人の本訴請求は本件家屋の収去、本件土地の明渡及び土地の不法占有による損害金の請求であつて、もし本件家屋の買取請求に関する控訴人の抗弁が認容される場合は、本件家屋の収去請求は認容されないことになるので該家屋収去の請求に対する予備的請求として本件家屋の売買登記請求及び明渡請求をなしたところ、原審は被控訴人の予備的請求を誤解したため控訴人による本件土地の占有が違法であることを認定しながら、本件土地の引渡請求を棄却したのである。そして被控訴人は本件家屋の買受代金三〇万円を昭和三五年九月一九日控訴人方に持参して提供し受領を求めたが、控訴人はこれを拒んだので、被控訴人は翌二〇日金三〇万円を福岡法務局小倉支局に供託したから、被控訴人は本件家屋に対し所有権を有するに至り、同月二一日以降控訴人は不法に家屋を占有しているのである。よつて被控訴人は本件附帯控訴に及んだ」と述べ、

控訴人はその答弁として「被控訴人主張の日時同人が該金員を控訴人方に持参して受領を求めたが、これを拒絶したこと、その翌日被控訴人が右三〇万円を供託したことを認める」と述べた。〈証拠省略〉

理由

一、本件土地が被控訴人の所有であること、控訴人が昭和二七年一一月二八日以降現在まで本件土地を占有し、その地上に本件家屋二棟を所有(本件家屋の所有権が、その後、いつ被控訴人に移つたかの点は、ここで省く)していたことは、当事者間に争がない。

二、控訴人は本件土地につき賃借権をもつと主張するので按ずるに、成立に争のない甲三、四号証によれば、本件土地はいずれも訴外吉田マツ子のため所有権取得登記がなされていたが、福岡法務局小倉支局昭和二二年一一月五日受付第六二〇六号をもつて被控訴人のため売買による所有権取得登記が経由されたことが明かであり、また成立に争のない甲一、二号証、同一四号証及び原審における控訴本人尋問の結果によれば、本件土地の上に建築された本件家屋については、いずれも訴外貫友介のため同支局大正一三年一二月二四日受付第七〇〇四号をもつて所有権取得登記がなされていたところ、控訴人より右貫友介を相手方として昭和二八年三月二五日福岡地方裁判所小倉支部に建物所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、貫の住居先が不明として公示送達の申立をなし勝訴判決をえて、これにもとずき昭和二九年一月一九日同支局受付第三〇四号をもつて控訴人のため贈与による所有権取得登記が経由されたことを認めることができる。

従つて、本件土地につき被控訴人のため所有権取得登記のなされた当時は、登記簿上の本件家屋の所有者は貫友介であつて、控訴人ではなかつたことが明白である。

しかして成立に争のない甲七ないし一二号証、乙一号証の一、二、同二、三、六、七号証、同八、九号証の各一ないし三、同一一号証の二、同一二号証、当審証人吉田二郎の証言によつて真正に成立したことを認むべき同一四号証、成立に争のない同一五号証、同一六号証の一、二、原審及び当審証人吉田マツ子の証言の各一部分、原審及び当審証人松江仙治、同石川観蓮、同吉田二郎、原審証人前田フミヨの各証言、原審及び当審における控訴本人尋問の結果(各一部分)、同被控訴本人尋問の結果(各一部分)並びに原審における検証の結果を綜合するとき、次の事実を認定することができる。

(一)  控訴人は明治四四年一〇月訴外吉田俊義夫妻の媒妁により土木請負業者であつた訴外貫友介と結婚式を挙げて夫婦となつたが控訴人は長女で家督相続人となつていたため、親戚の意向もあつて正式の婚姻の届出をせず、貫家に入籍しないままであつた。しかし控訴人は「貫」姓を名乗り、世間も同人を貫友介の妻として疑わなかつた。

(二)  控訴人及び貫の夫婦は大正七年小倉市に転住し、大正一一年頃当時も土木請負業を営んでいた貫は本件土地及び隣接地の合計六百八十数坪を期間を定めずに所有者たる訴外吉田マツ子から賃借した。もつとも本件土地は、マツ子の実父たる高木善七が昭和一九年九月死亡するまで同女に代つて管理していたので、高木との間に賃貸借の交渉をしたのであつた。そして間もなく本件土地の上に本件家屋を借家として建築したが、他の借地には控訴人等夫婦が一戸を構えて居住したのである。

(三)  控訴人の夫たる貫友介は昭和一一年頃から朝鮮に渡り鉱山業をはじめたが、他に内妻をもつて子を儲け、控訴人に対し音信を屡々絶つていたが、昭和一七年一一月訴外石川観蓮が仲介に立つて友介、控訴人の内縁関係を解消し、貫は同人所有の本件家屋を控訴人に贈与することとして離別するに至つた。その後、控訴人は昭和二二年五月まで本件土地の賃料を貫名義で吉田マツ子に支払い、同人も貫、控訴人の関係が解消されたことを知りながらこれを受領していたが、控訴人は本件家屋に関する贈与による移転登記手続を、程経て前示のごとく昭和二九年一月一九日にとつたのである。

(四)  他方、本件土地の所有者の吉田マツ子は昭和四年三月訴外吉田二郎との間に入夫婚姻の届出をして小倉市大字板櫃三三四番地(原町三丁目三三四番地)に住み、相当な財産を擁していたが控訴人の現住所と同じ町内であつて、近距離であつた。そして吉田二郎は昭和一六年四月頃以降、戦時中の原町三丁目の町内会会長をし、控訴人は同じく婦人会の班長を勤めていたため、また二郎、マツ子間の長女利子に控訴人が琴を教えたこともあつて、両家は或る程度親しい交際をしていた。ところが、とかくするうちに貫友介と離別して孤閨を保つていた控訴人は吉田二郎との間に昭和一八年頃より情を通じ、吉田二郎は遂に吉田マツ子の居宅を去つて昭和二〇年九月頃以降控訴人宅で同女と同棲し、控訴人のために被控訴人の代理人神吉定得との間に本件土地の貸借の交渉等をするようになつた。

(五)  ところで、昭和二二年に入り、吉田マツ子は財産税の納入に苦慮し、本件土地を売却することにし、同年一月中旬控訴人に対し訴外松江仙治を介して本件土地買受の交渉をしたが、結局、話合いがつかなかつた。そして控訴人方から遠くないところで食料品商を営んでいる被控訴人が同年二月本件土地を配給物資の貯蔵所として使用すべく代金二万三三一円で買受けたのであるが、その際売主の吉田マツ子は、この土地を貫友介に賃貸しているので、地主の変つたことを自分が貫に通知すると約束し、また被控訴人は家屋が相当程度、朽廃しているのをみて、やがて明渡をうけうると考えたのであつた。

その後、同年五月下旬被控訴人の妻が控訴人方を訪ねてきて、被控訴人が本件土地を買受けた旨告げたので、控訴人及び吉田二郎は驚いて被控訴人から本件土地を買いとるべく色々と折衝したが、売買の話は成立しなかつた。そして控訴人は同年七月一日に本件土地を除き、吉田マツ子より賃借していた、同人所有の土地合計約四七二坪を代金合計三万五四〇〇円で買受けたのである。

以上のように認定することができるのであつて、これに反する原審及び当審証人吉田マツ子の証言部分並びに原審及び当審における控訴、被控訴各本人尋問の結果部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三、叙上の事実関係によれば、本件家屋を所有し、本件土地を訴外吉田マツ子から賃借していたのは、控訴人の内縁の夫たる訴外貫友介であつて、本件家屋も同人名義の所有権取得登記がなされていたところ、昭和一七年一一月貫と控訴人とが内縁関係を解消し、その際貫は本件家屋を控訴人に贈与し、控訴人は本件家屋の所有権者となると共に、本件土地の賃借権を貫より承継したこと、そして本件家屋の移転登記を未だ経由しないうちの昭和二二年二月被控訴人が本件土地を吉田マツ子から買受けて同年一一月五日本件土地の所有権移転登記を経由したことが明かであるから、控訴人の第一次の主張、即ち控訴人が当初より本件土地を吉田マツ子から賃借し、その地上の本件家屋を所有していたことを前提とする主張は理由がないものというべきである。

四、次に控訴人は、本件にあつては建物保護ニ関スル法律にいわゆる「登記シタル建物ヲ有スル」者として賃借権を被控訴人に対抗しうると主張するので、按ずるに、被控訴人が本件土地を買受けた当時、控訴人が前主吉田マツ子に対し本件土地の賃借権をもつていたこと、その地上の本件家屋については控訴人の内縁の夫であつた貫友介名義の所有権取得登記が変更されずに存置していたことは、前示認定のとおりである。

しかし建物保護ニ関スル法律一条一項にいう「其ノ土地ノ上ニ登記シタル建物」とは、当該、権利を主張しようとする者の所有名義に登記せられた建物を意味するところ、本件にあつては、本件家屋の所有権は訴外貫友介から控訴人に移転せられたのに、それに関し移転登記はなされていなかつたのである。もつとも本件家屋所有の登記名義人は控訴人の内縁の夫であつた貫友介であるけれども、前示認定のごとく被控訴人が本件土地の新所有者となつた昭和二二年二月当時には、すでに内縁関係が解消されてより四年有余の歳月が流れていたのであり、且つ後述のごとくその間、容易に控訴人は地上建物の所有名義を変更しえた事情にあつたことが窺えるのであるから、貫の所有名義を控訴人のそれと同等視することは困難である。従つて本件につき建物保護ニ関スル法律一条を適用ないし準用しえず、結局控訴人は本件土地賃借権をもつて土地の新所有者たる被控訴人に対抗しえないものと解さなければならない。

五、更に控訴人の権利濫用の主張について判断する。

まず控訴人側における事情をみれば、前記認定のごとく控訴人は昭和一七年一一月訴外貫友介の贈与により本件家屋の所有権を取得しながら、被控訴人が昭和二二年二月本件土地の所有者となつた後、程経て漸く昭和二九年一月一九日贈与による移転登記手続を経たものであるが、原審及び当審証人石川観蓮の証言並びに原審及び当審における控訴本人尋問の結果によれば、控訴人、貫が内縁関係を解消する際、仲介に立つた石川観蓮は貫より登記に必要な委任状等を受けとつて控訴人に手交していたのに、控訴人は荏苒として日時を経過したことが窺えるのであるから、賃借権をもつ控訴人としては、その権利を保全しようとするならば、登記手続を経べく、右手続を怠つたことによる不利益は、賃借権をもつ控訴人に帰せざるをえないであろう。また前示認定のごとく、被控訴人が本件土地を買受ける以前に土地所有者の吉田マツ子ら控訴人に対し予め買受の交渉があつたし、結局本件土地を除く他の借地は控訴人がすべて吉田マツ子からこれを買受けたとの事情もあつたのである。

他方、被控訴人側の事情については、前示認定のごとく食料品商を営む被控訴人は、当時財産税の納入に苦慮していた吉田マツ子より本件土地を配給物資の貯蔵所として使用すべく買受けたが、その際、マツ子から本件家屋の所有者は貫友介であると聞き、また家屋が相当程度朽廃しているのをみて、やがて明渡をうけうると考えて買受の決意を固めたのであつた。

以上の彼此双方の事情を考慮するのに、被控訴人が控訴人に対し本件土地の所有権にもとずいて明渡を求めるのは、徒らに控訴人を害する意図をもつて何の利益もないのに右の権利を行使するものでないことを理解しうるのであり、本件権利の行使は未だ権利の濫用とならないのである。

六、なお控訴人は、昭和二三年一月新所有者たる被控訴人との間に本件土地のうち家屋の存する北側一一六坪につき賃貸借契約が成立した旨主張し、原審及び当審証人吉田二郎、原審証人前田フミヨは昭和二三年一月中旬頃被控訴人の代理人である神吉定得と控訴人との間において本件家屋の敷地部分につき賃貸借契約が締結された旨を供述し、成立に争のない甲五号証中にも該事実を裏付けるに足る記載があるけれども、右証人の該証言部分は原審証人神吉定得の証言並びに原審及び当審における被控訴本人尋問の結果と対比するとき、容易に信用できない。また右甲五号証は、同号証及び原審証人神吉定得原審及び当審証人吉田二郎(一部)の各証言、原審における被控訴本人尋問の結果によると、訴外吉田二郎が神吉の不在中に同人方を訪れ、自己が文案を作成した書面に自ら神吉定得の名を署し、その名下に情を知らない神吉の娘をして神吉の印を押捺せしめて作成した書面であることを認めることができるから、この書面は記載内容どおりの意味をもつものと解し難く、それによつては控訴人が本件土地に関し賃借権を取得したことを認めるには足りない。

また成立に争のない乙一八号証によれば、被控訴人が昭和三三年一月一三日小倉簡易裁判所に対し控訴人を相手方として本件土他のうち北側一三六坪一勺を賃貸し、残余の九〇坪六合六勺を明渡されたい旨の調停申立をなしたことを認めうるが、当審における被控訴本人尋問の結果によれば、調停は不成立に終つたことが明かであり、かかる調停申立がなされたとの一事をもつて、控訴人主張のごとき賃貸借成立を認めることはできない。他に控訴人の右主張を認むるに足る証拠はない。よつて、控訴人の、この主張も理由がない。

七、以上の次第であるから、被控訴人が本件土地を買受けて、土地所有権の移転登記をする以前に、控訴人が土地賃借権を譲受けていても、その賃借権についての登記のない本件においては、地上の家屋につき控訴人名義の登記のない限り被控訴人は右賃借権譲渡を否認して土地の明渡を請求しうるものといわねばならない(前示のごとく本件家屋の所有権移転登記は被控訴人の土地買受後には経由されているが、この登記により土地所有権移転前になされた土地賃借権の譲渡をもつて土地の新所有者たる被控訴人に対抗できないことは明かである)。

そこで、次に控訴人のなした買取請求について判断するのに、原審において被控訴人は予備的申立として、被控訴人が控訴人に対し本件家屋の買取代金を支払うのと引換に本件家屋につきこれが売買による所有権移転登記手続の履行と右家屋の明渡とを求めているのであり、一方、控訴人は借地法一〇条により本件家屋買取請求の意思表示を昭和三三年六月五日の原審第三回口頭弁論期日においてなしたことが記録上明かである。

ところで原審は、控訴人において貫友介より本件家屋を譲受け、同時に本件土地の賃借権者となつたのは昭和二七年一一月二八日であり、被控訴人が本件土地の所有権者となつたのは昭和二二年中であるところ、被控訴人が控訴人に対し本件土地の賃借権譲渡につき承諾をしないので、控訴人は借地法一〇条により本件家屋の買取請求をなしうると解したのであるが、当審にあつては、前示のごとく控訴人が貫より本件家屋を譲受け、同時に本件土地の賃借権者となつたのは昭和一七年一一月であつて、本件土地の所有者兼賃貸人は吉田マツ子であつたが、その後、昭和二二年被控訴人が本件土地を吉田から買受けて所有権者となつたと認定したのであるから、借地権の成立後に地主の変更があつた場合に該当し、借地法一〇条による買取請求権は存しないと解すべきである。しかしながら被控訴人において結局控訴人の右買取請求権を認め買取代金(原審認定)を弁済供託したから本件家屋の所有権移転登記手続、その引渡並びに本件土地の引渡を求むる旨の附帯控訴の申立をなしたことは本件訴訟の経過に鑑み明かであるので、控訴人の被控訴人に対する本件家屋の買取請求を認めるのほかないところ、前示のように控訴人は昭和三三年六月五日の原審第三回口頭弁論期日において本件家屋の買取請求の意思表示をなしたので、控訴人は被控訴人に対し本件家屋を移転すべき債務を、被控訴人は控訴人に対し時価に相当する代金債務を負担するに至つた。そして当時の本件家屋の時価は原審鑑定人荻田幸二郎、同村上紀生の各鑑定の結果を参酌考慮し、原審と同じく金三〇万円が相当であると解する。

そこで、本件家屋はすでに被控訴人の所有となつた結果、控訴人は被控訴人に対し本件家屋及び土地を引渡すべき義務を負担するに至つたものというべく、しかも控訴人は家屋の引渡についてはその代金の支払あるまでは同時履行の抗弁権によりこれを拒みうると共にその反射的効果として従来家屋の敷地とせられた土地(本件土地の一部)を占有しうるものと解すべきところ、被控訴人が原判決言渡後の昭和三五年九月一九日買取価格の金三〇万円を控訴人方に持参提供したが、受領を拒絶されたので、同月二〇日右金員を供託したことは当事者間に争のないところである。

さすれば控訴人は被控訴人に対し本件家屋につき昭和三三年六月五日附売買による所有権移転登記をなすと共に本件家屋及び土地の引渡をなすべきである。

八、最後に、被控訴人の損害金請求について考察する。

控訴人は被控訴人に対抗しうべき権原をもたずに被控訴人が本件土地を所有するに至つた以後たる昭和二七年一一月二九日以降、本件土地を占有使用し、被控訴人の土地所有権を侵害しているのであるから、それぞれの期間における本件土地の統制賃料相当額であることについて当事者間に争のない別紙目録記載の金員に相当する損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。もつとも前示のごとく昭和三三年六月五日における買取請求権の行使後、代金の供託が有効になされた昭和三五年九月二〇日までの間における本件家屋の敷地占有については、控訴人において地上物件たる本件家屋の引渡を拒絶しうる反射作用として敷地の引渡を拒絶しうべきであるから、不法占拠による損害賠償の責に任じないけれども、本件家屋を他に賃貸して利益を収取していることは弁論の全趣旨に徴し明かであるから、これによつて土地所有者たる被控訴人に損失を蒙らせているというべく、これは控訴人が権原なくして被控訴人所有の土地を利用してえた利得に外ならないのである。従つて前記期間中にあつては、控訴人は被控訴人に対し地代相当額を不当利得として償還すべきものと解すべきであるが、結局、前記の不法行為による損害額と一致するものである。

九、よつて本件控訴は理由がないので、これを棄却するが、附帯控訴は全部理由があるので、この限度において原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 相島一之 池畑祐治 藤野英一)

目録

昭和二七年一一月二九日から昭和二八年三月三一日までは一ケ月金五四四円、同年四月一日から昭和二九年三月三一日までは一ケ月金八九三円、同年四月一日から昭和三〇年三月三一日までは一ケ月金一二五〇円、同年四月一日から昭和三一年三月三一日までは一ケ月金二一一三円、同年四月一日から控訴人が本件土地の引渡をするまでは一ケ月金二〇〇八円の各割合による金員

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